【犬山城/愛知県犬山市】別名「白帝城」と呼ばれ、現存する天守の中で最も古いと言われています。
沿革
犬山城は織田信長の叔父である織田信康が天文6年(1537年)に木ノ下城を移して築城したと伝えられています。こののち江戸時代初期にかけて城主はめまぐるしく入れ替わりました。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際には、緒戦で羽柴(豊臣)秀吉方の池田恒興の急襲を受け、羽柴軍と織田信雄・徳川家康連合軍が尾張に集結するきっかけとなりました。秀吉は大軍を率いてこの城に入った後に、楽田城に移り、小牧山に陣をしいた徳川家康と対峙しました。
明治維新後に犬山城は廃城となり、天守を除いて櫓(やぐら)や門の大部分は取り壊され公園となりました。
明治24年(1891年)の濃尾地震で天守は大きな被害に見舞われました。同28年、愛知県から修復を条件に旧城主である成瀬氏に譲渡され、多くの市民からの義援金により修復工事が行われました。その後、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風などで天守の破損が激しくなったため、全面的な解体修理工事が行われました。
天守は昭和10年(1935年)に国宝に指定され、同27年規則改正にともない再指定されました。天守の創建年代はいくつかの説がありますが、令和元年(2019年)から同2年にかけて、年輪年代法による年代測定調査を行うとともに、建物全体の変遷過程などについて詳細に調査した結果、天守は天正13年(1585年)〜同18年頃にかけて、1階から4階までが一連で建設されたと見られ、現存する天守の中で最も古いと言われています。天守の建つ本丸を含め、城跡は平成30年(2018年)2月13日に国の史跡に指定されました。
大杉様
樹齢 約650年
高さ 約24m(枯れる前)
犬山城築城頃からの老木で、天守閣と同じくらいの高さがあり、落雷には城の身代わりに、台風の時は風よけにもなったりして城を守る御神木としてあがめられてきました。
しかし、1965年頃に枯れてしまいました。
城内
▼「石落としの間」
敵から襲撃を受けた際に、こちらの窓から石を落として進軍を防いでいたそうです。
そのため、こちらの「石落としの間」は石垣からせりだした設計となっています。
▼当時のお侍さんが着用していた「甲冑」です。
戦の際に着用する、日本の伝統的な防具です。
▼上段の間
こちらは殿様が使用していた部屋だそうです。奥には殿様を守るための武士が、常に待機する空間(隠し部屋)があるようです。
▼天守閣からの景色
近くを流れる木曽川を一望できて絶景でした^^
城下町
城下町の食べ歩きはオススメです^^
たくさんの人で賑わってました!
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御城印
▼御城印は有料駐車場近くの「犬山城観光案内所」で頂きました
▼日付は自分で記入でした(300円)
スタンプ
▼お城の出口付近にスタンプ設置されていました。忘れずに思い出のスタンプを!!
マップ
基本情報
犬山城(いぬやまじょう)
愛知県犬山市大字犬山字北古券65−2
開場時間 9:00〜17:00(入場は16:30まで)
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