【治水神社/岐阜県海津市】水害で悩むこの地域の住民の為、治水工事に尽力した薩摩藩士たちが祀られています

御由緒

江戸時代の中頃、徳川幕府は、木曽三川の水害で悩む濃尾平野西南部の住民を救ため、薩摩藩にお手伝い普請(ぶしん)を命じました。

薩摩藩士らは、経験したことのない水の流れに苦しみながら、何の関係もなかったこの地方住民のため、多大の犠牲を払い、万難を排して工事を排して工事を見事完成させました。

平田靫負(ひらたゆきえ)は、多くの犠牲者を出し、予想外の出費を余儀なくさせられた、この工事の責任者です。

幕府の検分が終わった宝暦5年(1755年)5月25日、藩公に報告するため江戸に向かって出発する日の朝、美濃大牧(みのおおまき)の役館で命終されたのです。

薩摩藩の経済を破綻させたこの悲劇の大工事は、永らく知られていませんでした。

明治維新後、三重県多度に住む西田喜兵衛氏は、深い人間愛に基づいたこの事実を世間に知らせ、慰霊(いれい)と顕彰(けんしょう)に邁進(まいしん)しました。

明治33年には、近代の木曽三川の治水工事の成功式に併せて「宝暦治水之碑」が、時の総理大臣「山県有朋公(やまがたありとも」を迎えて油島千本松原に建立されました。その後、地元の人々の報恩感謝の熱い思いにより、現在の地に、平田靫負を御祭神として、この大工事を完成させた薩摩藩士の功績を讃え、平田靫負の遺徳を偲び、犠牲となった多くの藩士達を慰霊し、併せてこの地域一帯が水害を免れるよう願って、愛知、岐阜、三重三県の水害予防組合を氏子とする治水神社が創建されました。

御祭神

平田靫負霊神

手水舎

拝殿/本殿

▼拝殿

▼本殿

狛犬

「阿」の狛犬
「吽」の狛犬

境内

▼治水昭和之宮

昭和34年の伊勢湾台風で犠牲となった方々の慰霊のため、昭和36年に建立されました。

▼隼人橋

治水神社から宝暦治水観音堂へ渡る橋として、宝暦治水200年を記念して昭和29年に建設されました。当時はここに小川が流れていました。

▼薩摩義士之像

台石は桜島の熔岩です。

▼宝暦治水観音堂

宝暦治水工事の犠牲者全員を祀るため昭和28年に建立されました。現在のお堂は、昭和58年に再建されたものです。

御朱印

アクセス

基本情報

治水神社(ちすいじんじゃ)

岐阜県海津市海津町油島407−1

無料駐車場あり

御朱印あり

公式サイトhttp://www.chisuijinja.jp/

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