【小野天満宮八幡神社/岐阜県郡上市】郡上八幡の地名の起源となった神社です。
御由緒
創建は承久2年(1220年)順徳天皇の御字大宮殿の次男時丸殿が誕生した時、正月の三日夜の夢の中で「是より東北の方向に鷲の巣籠り在りと見給ひ、これ正しく正夢なり探し求むべし」と藤原頼保に命じ従者30余名を連れ東北目指して訪ね登り、道中美濃国厚見郡(現、伊奈波群)長良川に辿りつきしばしの小休止をした処に、上流より流れ着いたと思われる鷲の大石打といわれる羽根を発見、清浄な白羽にくっきりとした紺色で浮き出ていたのが「八幡」の文字に見え、これこそ神のお告げと、この羽根を大切に押し戴き日数を重ねてさらに奥山目指して進み、やがて小野町に至り始めて民家に止宿、この里に因縁深きを悟り拾い得たる鷲の羽根を村人に与え山麓の岩間に差し置いた所が現在の城山だと云われる。
御祭神
八幡大神
藤原道真
八幡神社が八幡町の起源
永禄2年(1559年)遠藤六郎右衛門盛数公がこの山頂(現在の城の位置)に築城するにあたり、八幡宮の地域であったので同社を山麓の今の場所へ移した。
八幡神社は、それ以来明治の始めまで歴代城主の祈願所として崇敬、社殿の建立、修繕、祭祀に至る経費一際、領主の負担であった。尚、神社の下隣に岩本院なる寺院があり、天台宗の寺で八幡神社の別当職として常時奉幣祭祀を司った。当時の報酬として年間米25俵と祈祷料3両と言われている。とりわけ八幡神社は近隣最上の神社として一般の信仰も厚く、八幡宮の名声四方に高くて以後付近一帯を「八幡」と呼ぶようになった。
手水場
▼コロナの関係なのか、使用されていませんでした。
拝殿
社務所と御神木
▼立派な御神木でした。社務所は無人でしたので御朱印も頂けませんでした。
菅公の遣い牛
マップ
基本情報
小野天満宮八幡神社(おのてんまんぐうはちまんじんじゃ)
岐阜県郡上市八幡町小野7